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ファッションの歴史|井上刺繍教室

クリノリンスタイルのスカートはなぜ張り出しているのか

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これまでのモードとは変化が見られてくるのが、このクリノリンスタイルです。

産業が発展したことにより、今までのファッションリーダーが権力者だったのに対し、ファッションリーダーが市民階級へと変化していくのがこのクリノリンスタイルです。

 

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クリノリンスタイルとは

クリノリンとはスカートの膨らみを支えるものです。

当初は馬の尾や麻を織り込んで張りを出したペティコート「クリノリン」を重ねることによって形作られていましたが、50年代半ばになると金属やクジラのヒゲ製の輪を連ねた「かご型クリノリン」が登場し、広く用いられるようになります。

 

この時代になると、スカートの膨らみはさらに増し、裾が大きく広がっていきます。

各国で産業革命が浸透し、製糸、織布、染色など布地の生産効率が格段に向上したこと、合成染料の発明による染色の容易化などがありました。

つまり、布が安くなったりしたんです。

それによってさまざまなドレスが作られるようになって、新しい流行ができたのです。

 

 

1850年代には、スカートはドーム型で、何段かの切り替えのあるティアード・スカートも流行しました。

60年代になると、ドーム型から円すい型へ変わり、さらに前面より後方が張り出したシルエットに変わっていきます。

 

 

私はこの時代の服がお尻が出ているのをみて、小さい頃はお尻を突き出して歩いているのかなと思ってしまっていました笑笑

 

お尻を強調することで、女性らしい緩やかなシルエット、そしてウエストの細さを強調させていました。

今はそのようなシルエットを出すときはボディーコンシャスな服を着たり、露出度の高い服を着たりしていますが、当時はウエストを極端にコルセットで締めたり、クリノリンのようにお尻を突き出した形にしたりとどこかを極端にすることで女性らしさを強調させていたのだと思います。

 

 

 

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工業の発展と服

1851年に世界で初めての国際博覧会がロンドンで開かれます。第一回ロンドン万国博覧会です。

メイン会場となったクリスタルパレスは鉄骨とガラスでできた広大な建物で、イギリスの工業、土木技術の発展を世界に誇示することとなります。

1855年には第一回パリ万国博覧会も開かれます。工業の近代化による国家の発展を強調する性格の強いものでしたが、農業、芸術についても戦略的な産業として捉えていました。

 

1853年にポータブル・ミシンが開発され、1845年にはハウによって上下の糸を絡ませる方法が実用化されました。その後、ウィルソンやシンガーによって改良が重ねられ、1860年代には急速に普及します。

 

1856年にイギリスのパーキンが合成染料のモーブを発見します。

染料の発展により、服もより色鮮やかになってないきます。

 

 

様々な開店

1852年にボン・マルシェが開店します。

この頃、近代的な大型な建物が次々と建てられました。

デパートには既製服も登場します。

 

そして1854年、ルイヴィトンがパリにオープンします。

 

1857年にはウォルトがパリにメゾンを開設し、オート・クチュールの始まりとなります。

1868年に、ウォルトはフランス・クチュール組合を創設しました。

 

 

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クリノリンスタイルのドレスの皇妃

この時代の有名人といえばオーストリア皇后のエリザベートではないでしょうか?

エリザベートの170センチを超えるその姿態と美貌はヨーロッパ随一と言われています。

その美貌でハンガリーもおさめたと言われるほどです。

 

エリザベートは二つのモードを経験しており、クリノリンスタイルと、この後登場するバッスルスタイルを経験しました。

モードへの関心も非常に高く、趣味の乗馬服を作らせるときには素肌に合わせて作るという徹底ぶりも見せました。

 

その頃の髪型は、低い髷にカールを垂らし、花飾りをあしらうスタイルから、しだいに髷が高くなり、付け毛、付け編み毛、付け髷を使用した髪型になっていきました。

しかし、エリザベートは長い黒髪が自慢で、1日に3時間も手入れさせて結わずにいることも多かったと言います。

 

また、美しい体型を保つためのダイエットが激しく、1日3時間の器械体操にオレンジ二つしか食べず、マッサージ、サウナ、ウォーキング、吊り輪、水浴、フェンシングなどに励みました。過度なダイエットにノイローゼ気味になってしまったほどでしたが、ウエストはなんと50センチだったそうです💦

 

エリザベートは華やいだ服装に身を包み、モードを楽しんでいましたが、息子の皇太子ルドルフが自殺した後、ルドルフの死を悼み、喪服以外は一切着用しなくなりました。

 

ちなみに、エリザベートは元々皇后になる予定ではありませんでした。エリザベートの姉のヘレネが皇帝フランツヨーゼフと見合いをしていました。

エリザベートは妹としてついていきましたが、あくまで主役は姉のヘレネであり、自分は脇役として失礼のない程度にシンプルなドレスだったと言います。しかし、エリザベートの魅力にフランツヨーゼフは一目惚れ。

夜の舞踏会にエリザベートも招待します。その時もエリザベートは簡素なボイルのドレスを着ていましたが、姉のヘレネをはじめとする令嬢たちを差し置いてずっとエリザベートとダンスを踊ったといいます。

 

 

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まとめ

クリノリンスタイルはどちらかというとロココスタイルに近く、広い裾にコルセットで絞ったウエスト、そして形は円すい型と楕円型と違えども、似たようなものかと思います。

 

染色技術の発展により、ドレスも更に色鮮やかになっていきます。

また、オートクチュールも始まり、有名なルイヴィトンがオープンし、デパートも続々と作られ、更なるファッションの広がりを感じさせる時代の幕開けでもあります。

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喜代美

喜代美

(財)日本手工芸作家連合会認定助教授です。第42回創作手工芸展で特別賞授賞を頂き、2017年4月イタリア国際アルテ・ラグーナ賞を受賞したインスタレーションアーティストの木村奈央さんと、初のコラボ作品を展示。大変好評をいただき、刺繍作家としての活動にも精力をそそいでいます

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