商売人の紹介と【ブログの書き方】を教える学校

商売人アフィリエイト大学

ファッションの歴史|井上刺繍教室

フランス革命とロココスタイルの崩壊

更新日:

前回はマリーアントワネットが作り出した流行についてお話ししました。

マリーアントワネットが作り出したファッションスタイルにより、貴族たちのファッションはもっと奇抜になっていきました

スポンサーリンク

奇抜になっていったロココスタイル

前回お話ししたマリーアントワネットが作り出した髪型「パフ」。

その高く結い上げたパフがきっかけで、1777年から81年にかけてはより奇抜に、より高くというようなファッションスタイルとなって行きます。

かなり有名なマリーアントワネットの頭に飾られたと言われる大きな船の模型、諸説ありますが、その高さは100㎝から180cmといわれています。

 

また、奇抜になったのは髪型だけではありません。パニエもまた、大きくなっていきます。

(引用元: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%8B%E3%82%A8 )

パニエをあまりにも大きくしすぎて、扉を通らない人も出てきたというので、やりすぎも良くないですね💦

 

(引用元:文化服装学院博物館 ヨーロピアン・モード展 パンフレット)

散歩の流行に合わせて、ローブの裾を引き上げるスタイルのポロネーズ・スタイルも流行ったりしました。

 

(引用元:文化服装学院博物館 ヨーロピアン・モード展 パンフレット)

しかし、ルイ16世の末期には、過剰な装飾と相反するような、簡素な木綿製ドレス、シュミーズ・ドレスが流行しました。

 

たかがチラシ。されどチラシ。
まったくチラシで集客できなかった人たちが、次々に集客成功した究極のチラシ集客術。爆発的な売上改善をした数々の口コミを紹介中。

>> 商売人の学校とは? <<

マリー・アントワネットのロココファッションについてのエピソード

マリーアントワネットのファッションエピソードでカバリュース邸でのエピソードという面白いお話があるのでご紹介します!

(引用元: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%96%E3%82%A4%E3%82%A8%E4%BE%AF%E7%88%B5%E5%A4%AB%E4%BA%BA%E3%82%AB%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%8C%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%B4%E3%82%A9%E3%83%B3%E3%83%8C )

王妃の座を奪われたと言うカトリーヌ夫人とマリーアントワネットがファッション対決をする事になります。ここでファッション対決となる時点で当時のファッションへのこだわりを感じますね!

カトリーヌ夫人は生花の色とりどりのあざかやかなバラでドレスを飾り、人々はマリーアントワネットはこれに勝てないと感じましたが、マリーアントワネットは同じようなバラのマントを脱ぎ捨て「サン・ファの黒バラ」というとても珍しいバラのみを縫い付けたドレスを披露し圧勝したというエピソードです。

 

当時の女性はコルセットで締めすぎて病気になったり、パニエを大きくしすぎて扉を通らなくなったものの、ファッションへの情熱が高かったのだなと感じますね^_^

 

マリーアントワネットは国のお金を使いすぎた?

マリーアントワネットは国庫を浪費した赤字夫人と民衆から呼ばれました。その理由の一つがファッションに対する情熱による浪費でした。

 

当時、王家のしきたりとして王妃のドレスに対する金額は決まっていて、買えるドレスの数も決まっていました。

年間12万リーブル(約5400万円)でシーズンごとに正装用、礼装用、ドレスを各3着、年間にすると12着が新調され、最低でも36着は規則によって与えられていました。

 

これだけでもかなりの金額ではあり、不満を抱く人もいるかもしれません。王妃はいわば国の顔であり国母であるために、惨めで質素なドレスよりも煌びやかなドレスの方が他国にフランスの威厳を示し、また国民にも王朝の威厳を示せるからです。しかし、マリーアントワネットは年間にして170着以上のドレスを購入していました。また、その為に雇うお針子の人数もとても多かったようです。

 

ただ、マリーアントワネットがファッションに費やしたお金は国庫の10%に満たない金額であり、よく聞くファッションにうつつを抜かして国庫を浪費した赤字夫人という文句とはかなり異なります。

国庫は、ルイ14世がヴェルサイユ宮殿を作った時に既に赤字になったと言われています。

その後も、愛人たちの浪費により、フランスの国庫はさらに追い込まれ、マリーアントワネットの時代には取り返しがつかない状態でした。

革命は必然だったのかもしれません。

 

また、ローズベルタンが第三身分であるということもあげられます。

宮廷に出入り出来るのは貴族の特権であり、貴族の中でも頻繁に出入り出来るのはその中の一部でした。

そんな宮廷のしきたりの中で第三身分のローズベルタンが頻繁に宮廷を出入りし王妃の寵愛を受けたとなれば、宮廷に出入りできない多くの貴族は反感を持ったでしょう。その貴族たちは、王妃がファッションにうつつを抜かして国庫を浪費していると吹聴したと考えられています。

 

スポンサーリンク

ロココスタイルとはかけ離れた庶民の生活

それに比べて庶民の生活は貧窮(ひんきゅう)、つまり貧しさの極み。
なので、本当に貧しい人は靴すら履けない人もいました。

そんな中、服は新しく買うことはほとんどありませんでした。つぎはぎをしたり、特に多かったのがお古の使い回しです。

死んだ人の服をまたきることが多かったのですが、当時の死因の大半が病気によるものです。

服には菌が付きますから、またそれを着た人も病気にかかり死んでしまいます。

そのため、当時の寿命は短く、病気で死ぬ人も多かったようです。

 

スポンサーリンク

まとめ

この時代は庶民と貴族の服の差が特に激しかった時期と言えます。

貴族はどんどんきらびやかになるにつれ、庶民はどんどんとボロボロな服になっていきました。

 

その後台頭した革命政府も、結局は庶民の中でもお金持ちが多かったので、庶民の本当の苦しさを理解するには至らなかったために失敗に終わったという意見もあります。

 

煌びやかな事を愛でて楽しむ事も大切ですが、その背景にいた庶民のことを知る事も重要だと私は思います。

是非そちらの方も考えていただければ幸いです。

 

 

この投稿に関連した投稿はこちらです!

No. 1少女漫画!ベルサイユのばらのあらすじ

  • この記事を書いた人
  • 最新記事
喜代美

喜代美

(財)日本手工芸作家連合会認定助教授です。第42回創作手工芸展で特別賞授賞を頂き、2017年4月イタリア国際アルテ・ラグーナ賞を受賞したインスタレーションアーティストの木村奈央さんと、初のコラボ作品を展示。大変好評をいただき、刺繍作家としての活動にも精力をそそいでいます

-ファッションの歴史|井上刺繍教室

Copyright© 商売人アフィリエイト大学 , 2018 All Rights Reserved.